黒板の話 第2章 黒板とその仲間達の歴史

目次|第1章 黒板とは|第2章 黒板とその仲間達の歴史|第3章 黒板の工業規格について
  |第4章 黒板の種類と機能第5章 良い黒板とは第6章 黒板の取り扱いとメンテナンス

1.黒板の歴史

1810 フランス人によってアメリカに伝えられました。当時アメリカは、石盤さえ使用されていませんでした。
1986 明治時代に、日本で黒板の原点ともいえる「塗板」が誕生、主に寺子屋などで使用されますが、黒板より掲示板に近く小さなものでした。
1872 明治5年、初めて日本で学校制度のスタートと同時にアメリカから「ブラックボード」が大学南校(東京大学の前身)の教師であったアメリカ人のスコットによって日本に持ち込まれました。
1874 明治7年、日本で新しい授業制度がとられはじめ、明治10年頃には全国に黒板が広がりました。名前も「ブラックボード」からそのまま翻訳されて「黒板」に変わりました。
1874-1876 明治7年~9年、初めて国産品の黒板が製造される。当時は、簡易的なものとしては、墨汁を塗った上に柿渋を上塗りしたもの、または硫酸鉄と煎液を混合して塗ったものでした。
1913 大正初期、それまで仏壇屋さんや、漆工芸屋さんなどが作っていた黒板も、日本の代表的な黒板専業メーカーが出現し、技術の高さから朝鮮や満州など海外にも多く知られました。
1939 戦争により、黒板に塗る命ともいえるべき輸入品の漆が入手困難となり、黒板メーカーが材料調達に苦労した時期でした。
1952 昭和27年、資材の調達も含めて、日本工業規格表示工場の許可をめぐって黒板工業連盟を結成する運びとなり、昭和29年、JIS規定が制定され、塗面が黒からグリーンに変わりました。
1955 昭和30年ごろから木造から鉄筋の学校が多く作られ黒板が全国的な規模で広がりました。
now 現在の黒板は以前より簡素化し、以前は手作業で製造されていた研ぎ出し黒板ですが板面は焼付け塗装・ホーローが主流になってきています。フレームが木ワクからアルミのワクに変化し、より使い易く、耐久性に優れた黒板になりました。

2.黒板製造の歴史

黒板素材の移り変わり

1900 地板材は当初、杉の8分板(24m/m)の裏に吸付桟(松材及び絵材)を取り付けてカンナで削りおろし、また死節を削り取り除き6分板(18m/m)位に仕上げていました。
1950 昭和20年半ば過ぎにはシナベニヤ合板6mmができ、続いてラワンベニヤができる。周囲裏桟(杉板)で補強する。こうして仕上がった黒板下地は寒冷沙やクラフト紙を使った下地処理が必要で、その良否が黒板の品質を左右しました。
1960 スチール鋼板を下地にした黒板が普及しはじめた。最初はボンデ鋼板にラワンベニヤ合板を圧着した黒板が出来上がる。スチール黒板の普及は下地処理を必要とせず、直に仕上げ塗料を塗布又は抜き付けることで、より精度の高い品質と製品の合理化を図ることが出来又磁石(マグネット)が使えるという画期的な黒板に変革しました。
1965 昭和40年になると、大手メーカーのカラー鋼板ラインを使って、黒板塗料を塗布したスチール焼付け黒板が出来上がり、全国的に普及しました。その後、ホーロー浴槽の生産ラインを使用して、ホーロー黒板もできる様になり、現在も使用しています。(主流をなしている)

黒板素材の移り変わり(研ぎ出し黒板)

1945-60 明治後半~昭和20年頃迄の間、塗料は漆器の製法を参考として、生漆・砥粉・対馬石粉・胡粉及び、油煙・松煙墨・柿渋この様な材料が使われたと思われます。色は全て黒色です。
1946 昭和21年戦争が終わり、生漆の入手が困難となり、代用品として、カンバイ粉・ニカワなどを使用したが、納得のいく製品ができなかった為、各業者が単独で購入していた少ない資材を共同で受給することにしました。これが後に、全国黒板工業連盟の基盤となり、黒板のJIS化に連なりました。
1952 昭和27年、最初のJIS規格が制定されました。水成岩微粉末・漆・テレピン油・サイズ・ワニス・顔料・色は黒または緑色。この様な使用材料をもとに規格されました。
1974 昭和49年、良質の合成樹脂塗料の開発により、黒板用塗料も著しく品質の向上がみられたため、黒板用塗料の材料が、水成岩微粉末・着色材・合成樹脂塗料に、JIS規格が改正されました。
now 現在、JIS規格(指定品目)JIS S6007研ぎ出し黒板を製造するにあたっては、改正後の塗料を使用することで、JISマークを表示することができます。

3.チョーク(白墨)の歴史

1800-1830 19世紀初頭、イギリスで、建築材料に使われる石灰岩で、硬いものに、線が引けることを知りました。
1800-1830 19世紀初頭、フランスでは、石灰の粉末を焼いて水に溶かし、棒状に固めて使い易く加工したものが生まれました。これが現在のチョークの元祖の誕生です。
1800-1830 19世紀初頭、アメリカでクローゼ工学教授が授業をやりやすくするため、大工さんと絵の具店にたのんで、黒板とチョークを作ってもらいました。
1873 明治6年、大阪の雑貨商、杉本富一郎氏により、初めて日本に輸入されました。その後杉本氏により、明治8年石膏を七輪で焼いた初の国産白墨を完成しました。
1893 明治26年文具ルートにのせて教師用チョークが発売されました。また、日清戦争時には、軍の戦略立案用として使用されました。
1896 (明治29年9月)(株)馬印 創業・業界では一番古い
1910 明治末期、色白墨が誕生、しかし現在のものより質が悪く、色がついているのは表面のみで、中の芯の部分は白色のままでした。
1913 大正時代に入って、白墨が本格的に授業に取り入れられ、各社が製造を開始し、全国で数十のメーカーが乱立しました。
1926 昭和初期、アメリカで使用された炭酸カルシウム製のチョークが、昭和12年頃、日本理化学によって国産第1号として製造開始されました。
1940 昭和15年、丸公価格の設定。そして第二次世界大戦勃発により、原料の石膏が入手困難となり生産量が激減、メーカーを苦しめました。
1946 昭和21年、戦争が終わり、文部省が学校教育資材として白墨製造をすすめ、業界はふたたび活況を呈し、全国白墨製造協議会が設立され、JIS規格が制定されました。
now 現在では、歯磨き材料にも使われている炭酸カルシウム製(人畜無害)の炭酸カルシウム製のチョーク(ダストレスチョーク)が学校で多く使われています。石膏製のチョークは日本文字が書きやすくきれいにみえます。材料の石膏は無害で歯科・ギプス・等に使われています。昔は豆腐のにがり変りに使用されていました。

2種類のチョークの比較

製品名 日本工業規格 主成分 形状(1本) 主な性質 比重
炭酸カルシウム製   炭酸カルシウム 長さ63mm質量8g以上
直径9mm以上
・粒子がこまかい
・長持ちするがかたい
・軽いタッチでよく書けるが音が高い
・細かい文字が書きやすい
比重が重い
焼せっこう製 JIS S 6009 硫酸カルシウム 長さ80mm 質量4.5g以上
直径(太口)12mm以上
直径(細口)9mm以上
・密度が粗い
・タッチがソフト
・太い文字が書きやすい
比重が軽い

4.マーカーの歴史

昭和20年アメリカでフェルトマーカーが誕生しました。同年、アメリカ進駐軍によりボールペンが日本に紹介されました。
1953 昭和28年、寺西化学が『マジックインキ』を製造し、内田洋行から日本ではじめてマジックインキが発売されました。
1963 昭和38年、ぺんてるが水性『ぺんてるサインペン』を発売しました。
1966 昭和41年、パイロットインキが『ケトン系中詰式マーカー』の製造を開始しました。
1967 昭和42年、日本で初めてホワイトボード(特殊表面加工のポリオレフィン系樹脂板)を発売するにあたり、ここにホワイトボード用のマーカーが誕生しました。その際イレーザー(ペーパー式)と、ホワイトボードクリーナーも生まれました。
1973 昭和48年パイロットは硬質ホーロー製ホワイトボードと速乾性アルコール性インキのマーカー(赤・青・黒銅色)を発売しました。
1982 昭和57年、直液式油性アルコール系マーカーが発売されました。
1989 平成1年、直液式油性アルコール系マーカーの大型が発売され、その後、形状変更・色数・品種など改良を加え、バリエーションを増やしています。
1995 平成7年、グリーンマーカーボード用カラーマーカー(油性顔料アルコール系)が発売されました。
now 現在、マーカーインキは、ケトン系とアルコール系顔料インキがありますが、アルコール系顔料が主流です。1998年、より安全性を高めるため、新たに水性マーカーが仲間入りを果たしましたが、これからの商品です。

2種類のマーカーの比較

製 品 名 主 成 分 安 全 性 臭  い 消 去 性
アルコール系 インキ
着色剤:顔料
溶  剤:アルコール系
毒性
殆どなし
ソフト 良 好
ケトン系 インキ
着色剤:顔料
溶  剤:ケトン系
毒性
多少あり
強 い 良 好

良いマーカーの条件

・書きやすいこと。(描写性の良いこと) ・筆跡(色)が鮮明なこと。(バラツキが少ないこと)
・消去性の良いこと。 ・消去カスが出ないこと。
・耐久性の良いこと。 ・ドライアップが少ないこと。
・大きさ、筆跡巾等がユーザーニーズに合っていること。(扱いやすい) ・安全性に優れていること。

5.電子黒板の歴史(コピーボード)

1984 昭和59年、通常のホワイトボードの利用価値を高めるため、コピーを可能とする書き消し可能なシートを利用した、5面巻き取り式電子黒板『かわら板』が誕生しました。これが、現在のファックス方式電子黒板の草分けとなりました。
1986 昭和61年、以前の5面巻き取り方式の欠点を改良した、画期的な電子黒板が4面エンドレス方式の『メディアボード』をはじめ、大手家電メーカーが続々と電子黒板市場に参入しました。これ以降各社の商品は、市場共多機能タイプと単機能廉価タイプに2分された形となっていきました。
1988 昭和63年以降、次第に激化する価格競争で、メーカー側は余分な機能を削除した電子黒板を発売しました。4面エンドレス及び2面式廉価版が主流となっていきました。
1996 全体的な市場規模は、毎年着実に伸びていったが、製品上・販売上弱い部分を持った企業は次第に減少していく半面、コンピューターと接続可能で、用紙も普通紙に印刷可能な電子黒板が誕生しました。
now 電子黒板の全体的な市場はここ数年伸び率が安定しており、今後も継続するものと思われます。